https://youtube.com/shorts/0zRkzHoFngM?si=7bXC9Kta3hG9mu-I
なぜか 昨晩、山田孝之が夢に出てきた
内容は忘れたが、
なにやら 盆栽も出てきて それらの栽培についてとか
仕事での関わりだとか
衣装を揃えたり
商店街を行き来したりと
ただ 友達みたいな感じで関わる夢だった気がする。
https://youtube.com/shorts/0zRkzHoFngM?si=7bXC9Kta3hG9mu-I
なぜか 昨晩、山田孝之が夢に出てきた
内容は忘れたが、
なにやら 盆栽も出てきて それらの栽培についてとか
仕事での関わりだとか
衣装を揃えたり
商店街を行き来したりと
ただ 友達みたいな感じで関わる夢だった気がする。

実際に水もれが起きたとされる10時50分のはこちら

水の星座(蟹座)から木星がMCのある付近 土の星座(山羊座)を築き上げているみたいに見えてしまう。サビアンとかも見れば、なんらかのメッセージが読み取れるかも?
笹子トンネルがもし崩落でもしてしまえば
迂回路はあるのだろうか。
笹子 は分解すると 笹 と 子であり
笹は 竹と通じると考えると 竹は道祖神で立てられたオオヤナギに通じ
神を示す依代
子は ね と読むと 水である。
一方、扇山の火事は鎮火することがない
扇 も 神の依代である。
もとを辿れば、笹と同じく オオヤナギのもとになった
檳榔に通じる
結局のところ 蛇なのである。
蛇=巳年のラスト
巳といえば 火であり そして水の神でもある。
そして 金気とも通じる
巳は山(🟰土)の神であり、
たった一つ 木行をのぞいて すべての五行に通じるのだ
火=カ
水=ミ
ところがどっこい
巳の方位は なんと 四緑で=木である。
こんなに全方位的に網羅した干支は他にもあるだろうか。
かといって
蛇を忌み嫌う人々もいる
どう捉えたらいいのだろう。
メダカの桶にある浮き草をどうするか
考えがまとまらないまま
冬を迎え
気がつくと13cm超の厚い氷が水面を覆い
コンテナなどはほとんど下層まで凍っていた
ここ数日は 氷が溶ける陽気で
凍った後、枯れ 腐った浮き草ごと氷を捨て
大量の井戸水を投じ すこしは底にメダカがいるのか
観察してみた
やはり コンテナでは冬の飼育をしてはならない(この氷点下6〜7度まで下がる地域では)氷はいっぺんに13cmまで凍るわけではないが、氷点下の日々が続くと
日中の気温も上がらない場合 解けずに氷が徐々に厚くなっていくということもわかった。
一方、同じ敷地内でも日が当たる区画に大きい(65Lくらい)のタライを置いて
避難させておいたものは 今日のような暖かな陽気だとメダカがすいすいと泳いでいる。
同じ敷地内でも 朝日が先ずあたり 日中も日差しを遮るものがなく
水温が下がりにくいものでは メダカが生きている。
また、大きな金木犀の木陰に置いた桶は なぜかほとんど凍らないという珍現象が起きている。ここは 金木犀につく「蛾」の幼虫が大量にした「ふん」が水に混ざって一時コーラのような色合いになってしまった桶である。
南ヌマエビが生きている様子が伺えるので、水質としてはすくなくとも南ヌマエビが生きられる程度には大丈夫だし、メダカも生息しているみたい
日があたるといえばあたるのだが、木陰なので他の氷がはった桶と
条件があまり違わないのに、どうしてなのか謎である。
さて、20日までは3月なみの陽気で ほとんどの桶で氷を取り外して
井戸水を注入した
これからの数週間、また氷が13cmになってしまうような事態にならないよう
毎日それぞれ様子を観察しなければならない。
うめちゃんを獣医さんに
相当 腎臓がいかれているらしく
しばらく点滴に通うことに
数値のレヴェルが突き抜けていて
普通なら逝ってるかも
かなり長い事 腎臓が悪かったので その状態に慣れていたのでは
とのこと
うちに来た当時 9歳で
歯が一本しかなかった
家猫にしてもらうまで何年か外飼いだったらしい
ということと
認知症のおばあさんとの暮らしでは
様々な人間のフードをご相伴にあずかったであろうこと
(実際 食卓に上がってくる)
などなど
思い当たる事はいくつもある
私は基本的には
本人の好きなようにさせてやると考えており
(ペアできた ゆきちゃんは三角コーナを漁り 粕漬けの魚などを掘り出して
骨までしゃぶっていた)あまり劇的に食事をコントロールしようと思っていなかった。
結果的にやっぱり無手勝流の給餌は敗北し
超元気に思えたユキちゃんは2年くらいで亡くなって
うめちゃんも危機を迎えている
言い訳はいろいろあるが
やっぱり食事は大事ってことですね。。
119
って
たすと 20ではありませんか。
119
ロバート・パーマーの誕生日
山羊座の最終度数。
山羊座。
私の7ハウス
119
助けて
昨日、
うめちゃんが やっぱり食欲がなくて
いよいよ 医者に連れて行かなければならないかもなと
自覚した
身体も心も もう なんど 限界を乗り越えてきたかと思う
高齢猫が集団化する10年後を理解して飼い始めたか?
手がまわらなくなればなるほど
結局自分の感覚を中心に据えなければ
と思う
自分の身体をないがしろにして
ありとあらゆることに振り回されてきた。
時にはそれが正義であったかもしれないが
もう限界だ
どうして こうも 病気の人々や 動物に取り囲まれて
それを次々と乗り越えるような日々を送るように
設計されてきたのか
この人生は。
インド占星術で
ずっと病院にいるという答えをもらった時のことを思い出す
また覚えた やりかたで調べて答えをだしたら
やっぱり病院にいて それから また病院にいる
という人生を 提示されるのだろうか。
ありのまま
コントロールを手放して
心地よく過ごせる時間をいかに捻り出して
幸福に生きるか
そんなトンチが私には求められている。
夜中に目が覚めて だいたい12時前後 か 2時前後に
オムツ交換などをしたあと
私のゴールデンタイムが始まる
だいたい2時ごろから6時くらいまで
昼間できなかった掃除 整理整頓
読みたかった本に目を通したり 普段手をつけられない家事をしたり
昼間くるヘルパーさんがやりやすいような仕事を残して
その間、猫から餌をねだられたり
台所の片付けをしたりといった具合
見たかった動画(占星術や占いの講座)にはまだ届かず
土星よりも遠い惑星の星座間移動が今年の前半に集中して起きるし
水星の逆行が3回とも水の星座と言われるところで起きるという特徴を
どう自分の中に落とし込むか 図表を作ったりなんだりで
予定外 予想外の時間をかけている。
結局のところそんなことで毎日3時間くらいしか寝ていないし
風呂も入ったり入らなかったりで
いろいろ考えると結構自分ってタフなんだなあ
なんて 今までの生活も含めて考えると なんとなくかえって
自分を見直してみたりしている。
というか 若い頃はやたらと寝てしまって徹夜でなにかを仕上げるなんてこと
できなかったので そういうコンプレックスがあるのかもしれない。
ただ 今は眠れないというか体質が変わって 眠らなくても平気になってしまったという事もあるし
夜 起きていろいろしていると うるさいと叱られてしまうので
気をつかてできなかったのを 今は(だれも文句を言わないので)
自由にできるということもある。
外が明るくなってきた。
朝方はとても 清々しいので 目が冴えた状態で
朝を迎えられるのは気分がいいものです。
もうすこし 計画的にいろんなことができるといいなあ。
夜中に目が覚める
なぜかというと眠りが浅いからだ。
母の呼吸器マスクを付け直して就寝に向けた準備を完了すると
一つの区切りなのだが
その後 食事をした台所やらいろんなことを片付けるだけの
余裕などない。
身体を引きずるようにしてやっと寝床に入って睡魔を納得させる
その後 どうしたって夜中に何度かは起こされることがきまっているので
眠い時に寝ておくという選択をしないといつまでたっても寝られないからだ
介護をするというのは、区切りがないある一定の緊張感を持続する日々である。
それが自分の親で 介護にまつわる仕事や 家事全般が好きな仕事であり苦にならない
自分のようなタイプでも、時には休みをくださいという気分になる
これが 例えば子育てだとか 経済的な事情で仕事も兼業で行う必要があるとか
となると、私にはもう無理だろうなあと思う。
それでも 同居家族がいればヘルパーによる家事援助は制限されうる要素である
介護保険という制度は それまでなかった援助が入るようになったという意味ではありがたいものだとも思うが、 実際の制度の立て付けは 最終的には
「専門家による介護=施設入所」がデフォで
自宅で 家族介護を援助する という事に関してそれほど熱心な立て付けに
なっているのかどうか 私にはわからない。
こと 自分の生活に関して言えば 同居という形をとって、
まがりなりにも会社の役員としての報酬を得ながらの生活であるが
自宅に常時いるので 家事援助を(私たちの共同生活を行う場を掃除するとか 私の分も含めて洗濯や調理など)する という立て付けではプランを作りづらいのが現状で
本人が家事をする前提での家事援助だとか 本人だけのスペースの掃除だとか 決して現実的な制度設計だとは言えない。
現実的に それでどのくらいの人たちの生活が成り立っているのか
過不足はあるのか、どのような人でも自宅で生活できるような立て付けにしていくには
どうしたらいいのかという論議にはなかなかなりづらい
在宅介護現場の人材不足だとか 財源だとかの問題の方が「現実」であり
実態を踏まえて じゃあ なにを目指して どんな制度設計が望ましいのかといった
議論にはなかなかなり得ない
現実とはなにか 自分たちで作っているものではないのか
だいたい日本では 全てを均して考えると
5割以上が税金でもっていかれる構造になっているという。
昔から不思議に思っていたが、多くの年寄りは自宅で最後まで生きることが不可能である。
生活保護だとか 老後の年金が ちょうど 老人ホームの生活費になり介護料として
賄われ、それで 安い給料で働く介護人材が 疲弊していくような程度の経営がなされている。
どうしてこれでずっときているのか、どうしてこれを放置できるのか
それで平気なのか 私にはわからない。
しかし、コロナ惑珍をめぐるこの話で
厚生労働大臣が「元のデーターは目を通していないが、安全だ」と言い切るのであるから
実際に誰がどうなろうと 行政も政治家も 自分さえ良ければ
税金を納めて 日本の復興に貢献してきたような世代の年寄りが
どうなろうと どうでも良いのだということはよくわかる。