ネコのヒトビト 2

gooからひっこしました。

個人の尊厳と多様性

昨日、日本のゼリーを数種類 アメリカに持って行って

現地の人に食べさせ、どれが一番気に入るかという番組をしていた。

ソルトレイクシティのあるユタ州というところ

私は、昔 モルモン教の教育プログラムで日本に来ている人らと

知り合いになった時期があり、(ソルトレイクシティにはその総本山がある)

彼らの風貌だとか表情を思い出していた。

真面目で独特な雰囲気があると思う。

そこでは 毎月一回程度 LGBTQのパレードがあるそうで、

なんと8万人も集まるのだという。

虹色の装飾を施した衣装などを着た人々が集っていて、

日本産のゼリーは様々な評価を受けていた。

終結果は コーヒーゼリーが一位だったわけだが

モルモン教ではたしかカフェインを避けるらしいがどんな具合でそういう結果になったのだろう。

 

私は 徒党を組まない と決めているのだが

そういう私でも  宗教だとか 政党だとかの勧誘を受ける時もある。

特定の宗教だとか 政党だとかには入るつもりはないが

知ると言う事はいいと思っていて

そういう人たちとの関わりを避けることもない。

 

私が重視するのは、それらの人たちが、個人の尊厳をどのくらい尊重してくれる

つもりがあるのか、と言う事だ。

 

自分たちの意見に従わないから、自分たちの基準に照らして間違っているとか 見下すとか 強引に勧誘するとか

いう態度が見えた時は  心は離れていってしまう。

 

 

LGBTQに限らず、多様性というのを尊重するのであれば、

それぞれの意見 や 個人の意思がある事を 認めなくてはならない。

 

相手の個人的な境界線を犯し、思想に強引に介入し、拒否をすると意思表示をしているにもかかわらず、それを無視するような相手とは 距離をとるしかない。

そういう人とは お互いに棲み分けるしかない。

多様性を押し付けてきながら、 変態(に、かかわられるのは)嫌だと言う人の意見は認めない、という考え方は ダブルスタンダードである。

 

犯罪を犯したい人 犯罪を犯されたく無い人がいるとして

一方の自由だけ認められる=犯罪を犯したい人間の権利だけ認められ

犯罪を犯されたくない 人間の権利は認められない 

というのは ダブスタだ。

 

自分の感性について、正直に述べただけで 差別だと決めつけ、自分たちが傷ついたと言って 罪悪感を植え付け わざわざ変態生を誇示して、見たく無い人にまで

見たく無いと言っているもの(性的なものを想起させるような生々しい姿)
を誇示して見せるというのは

 

一方の自由だけ認め

一方の多様性は認めていないのだ。

 

人にはそれぞれの価値観がある。

 

それを自由に発言できかねる状況を醸成するのは

新しい意味での 宗教的な強制と感じる。

 

一方、

カフェインを避けろという宗教ベースを持った地域でもって

コーヒーゼリーが受け入れられるという事は、

そこまで窮屈に宗教へ帰依する人ばかりではないという部分で

ソルトレークシティにおける 健全さを感じた。

コーヒーを味わう自由ぐらいは存在するらしい

 

個人の尊厳と 多様性 が 同時に成立すると言うことは

違いを認めるものの

お互いの尊厳を守り、お互いの領域を侵さないという

違いに尊重しあうという心構えが必要である。